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  <title>泉君の日本語教育史ブログ</title>
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    <title>歴史的に見た教材と教授法と教案の関係－概要－</title>
    <description>
    <![CDATA[<span style="font-size: large;">教材の内容云々する前に教材はどのように作られるか研究が必要である。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">戦前台湾における教材作成の手順は</span><br />
<span style="font-size: large;">教授法の導入&rarr;教材研究&rarr;実験授業&rarr;教材作成&rarr;教材策定</span><br />
<span style="font-size: large;">という手順を踏んでいる。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">教材はある教授法に基づいてその教授法で行なうことを前提に作成されている。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">授業は教案によって進行するが、授業は教案に従属する。従って、適当な教案による授業ではその教材の理想とする教授法によってされないため、授業になっていないことが生じてくる。<br />
<br />
日本語教育史による今までの教材研究は教授法より先ずはイデオロギー的な内容が重視され、内容が政治思想的にどうなのかを検討することばかりしている。<br />
<br />
大正の初期から台湾では一斉授業方式の教授法に移行したため、現在も同じような様相でされているため、教材も基本的に大正期に始まった教授法と教案による流れを汲んでいるために、多人数対応の流れを維持していると言えよう。<br />
<br />
大学や高校の授業は教師存在が大きく関わり、語学教育としての日本語教育の訓練を受けた教師より、そうではない教師の比重が大きいため、教師の自己体験としての教授経験からくる教授法が蔓延しているため、成果は生徒学生の能力に負うところが大きい。そのことは教材と教授法と教案が理想的に絡みっていないことを意味する。そのため、教材の理想と教授の現実のギャップに教師が悩む結果になっている。<br />
　<br />
では、教案がしっかりしていればいいのかというと、そこには教材と教授法が理想とするクラスサイズと教案と教師のテクニクという壁が立ちはだかるために、やはり教師が悩む結果になる。<br />
<br />
一方、補習班はどちらかというとより語学教育としては教材と教授法と教案の一致が理想的に絡み合わせることができ、少人数クラスで一定の成果を収めているといえるだろう。<br />
<br />
日本語教育史から見る台湾の現状は、現状にあわせて、教材と教授法とそれにあわせた教案をしっかり作るか、現状を打破するためにはどのような教材、教授法、教案にするのか開発するしか方法はない。<br />
<br />
戦前は約10年ごとに教材、授業法、教案が見直しされているが、戦後は約20年ごとに日本から様々に新しいとされるものが入ってくるが、全面的な改革にはなっていない。しかしながら、教授法では教師主導の授業体系が少しずつ学生主導の体系に動き始めており。歴史的に見ると新しい流れと言えるだろう。<br />
</span>]]>
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    <category>授業関連</category>
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    <pubDate>Wed, 18 Mar 2015 12:44:43 GMT</pubDate>
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    <title>調査のための台湾走破地図</title>
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    <![CDATA[<img alt="" src="//idu230.tou3.com/File/fffd392b.jpeg" /> &nbsp;]]>
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    <category>台湾関連</category>
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    <pubDate>Wed, 18 Mar 2015 11:51:16 GMT</pubDate>
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    <title>日本語教育史とは何かを考えた末に</title>
    <description>
    <![CDATA[<span style="font-size: large;">日本語教育史とは何かということを考えた末に、</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　日本語教育史は日本語教育の古きを知り新しくを開拓する事である。また、日本語教育は過去にどのように行なわれていたのか、考証することも日本語教育史の仕事である。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　例えば、植民地時代に日本語を教える学校をが有ったとして、その時代にはどのような事がそこにあったのか、そこにどのように正しく真実に近いものを再現できるかと言うことである。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　映画やドラマでは適当でいいのか、思い込みでこんなことしていたということでよいのであろうか。そのためにも研究が必要なのである。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　そこから発展すると、日本語教育はかつて、どのように行なわれてきたのかという疑問にぶち当たる。またそれらはどのような体系でどのような政策の元に、どのような人がどうのような人を教えていたのか、教育場面を考えないわけに行かない。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　植民地教育＝悪論だけではなんら真実は出てこない。また悪を証明するために都合のいいところだけに目を向けることが、果たして正しい学問としての研究になるのであろうか。<br />
<br />
　日本語教育史というと、植民地教育の強制教育であるという結論を出さないと喜ばない方々が得てしており、どうしてもそこに結論を導きたがる。しかし、そういう姿勢は戦前の教育がどのように機能していたか無視し、戦後のしていることは昔のことはしていないということを強制していることに気がついていない。私の疑問は本当に戦前と今は違うのか、どこが、どのように違うのかということ疑問がつきない。</span><br />
&nbsp;<br />
<span style="font-size: large;">　私の日本語教育史研究はそこから始まった。様々なイデオロギー的な結論が交差する中で、結論ありきのものばかり読んでいても、本当のことはわからないというものであった。当時の現場に極力近づくことが必要と考えた末に、台湾に住むことに決めたのであった。</span><br />
<br />
<span style="font-size: large;">　また自分も日本語教師として、過去とどのように違うのか、それを考えるためにも、日本語教育史は必要なことであると考えている。　</span>]]>
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    <category>日本語教育史</category>
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    <pubDate>Wed, 18 Mar 2015 10:37:05 GMT</pubDate>
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